「食」それは生物の生命の営みの基本となる行為である。食が肉体を作り、肉体に魂がやどる。自覚的であろうと、無自覚であろうと、人々の思想、意識、野心、愛情、怒り、それらの全てが食によって作られていることは言うまでもない。
本来、食とは人生を支えるものであり、真に尊い行為なのである。しかし、ぼくたち人類は長年にわたり日に3回の食の機会を得続けている。食はもはや日常的な行為になってしまい、その尊さを意識する機会を失ってしまっている。
あの日のぼくたちもそうだった。
「じゃじゃ麺でいいんじゃない」
三軒茶屋の日常の中でぼくたちは、なんとなくランチにじゃじゃ麺を選んだ。

自宅の郵便受けにチータンタン無料券が入っていたから。無料券を捨てることなくとっておいたから。そんな、些細な理由でぼくたちはじゃじゃ麺専門店「おいけん」を訪れた。思えばぼくらはチータンタンが何もであるかも理解していなかったのにだ。

特にしゃれてるわけでもない。むしろ少しみすぼらしい。そんな店構えを特に気にすることもなく、おもむろに脚を踏み入れた。
名店感
店はカウンター席しかない小さな店だった。10人も入れないような小さな店だ。
席についた途端店主が優しくぼくらに語りかけた。
「めんの量を選んでください。」

その店では、何を食べるか決めるのはぼくたちではなかった。優しげでありながら、強さを感じさせる店主によって、ぼくたちが食べるものはすでに決められていたのだ。もちろんそれは、「じゃじゃ麺」である。
ぼくたちは、顔を見合わせ、静かに答えた。
「中盛りを2つお願いします」

食べるものを選択する機会を失ったぼくらは、ぼくらの環境を把握する必要性を感じざる得なかった。静かに、しかし迅速に、そして正確に店内をみわたした。

一面にはおいけんを訪れたであろう著名人の色紙が敷き詰められていた。
「じゃじゃ麺一本で勝負してるんだ!」
「有名な人たちに評価されているんだ!」
小さな店みせ全体がぼくらにそう語りかけていた。それは静かであり、優しげであったが、厳しいものでもあった。
十分にぼくらにその思いは伝わっていた。ぼくらはなんとなく名店感を感じてしまったのだから。
絶品の肉味噌
ああ、なんだかいい店に来てしまったのかもしれない。そんなことを考えているうちに、「中盛り」としか注文していない料理が丁寧にぼくらの前に運ばれてきた。

ハートちゃんである。名店感がありながら、おちゃめさを忘れない。いや、その遊び心こそが名店感の演出であろうか。

ただ、ハートちゃんは、女性客だけのサービスなようだ。ぼくだって可愛いものは好きだ。心のどこかでハートちゃんをおねだりしたい気持ちが湧いてきていた。しかし、名店感漂うこの店で、その気持ちを声に昇華するのをぼくは控えることにした。無粋だ。そんな気持ちがよぎったからだ。

お前が食べる料理は俺が決める。お前の美味しいは俺が決める。
食べるものを選択することができないこの店では、店主こそが神である。しかし、ここおいけんにそんな傲慢さは微塵も存在しなかった。
提供される薬味や調味料の数々。じゃじゃ麺の命たる肉味噌すらかけ放題なのである。
ぼくの食べる料理、ぼくにとっての美味しさ、それはおいけんが提供するじゃじゃ麺と、ぼくらのトッピングによって作られる。
そう気づいたとき、ぼくの瞳からは一欠片の雫が優しくこぼれ落ちていた。

ぼくの心はすりおろされたニンニクのように爽やかに碧く澄み渡っていた。

肉味噌を過剰に追加し、ラー油とお酢を多めに垂らす。ニンニクをひとつまみ分投入し、やさしくかき混ぜる。そうして、おいけんとぼくらによる本当のじゃじゃめんが完成した。
美味しいに決まっている。美味しいものを食べてほしいという店の思いと、美味しいものを食べたいというぼくらの思いが重なり合って完成したじゃじゃ麺なのだから。
締めはチータンタン
無料券のことを忘れてはならない。ぼくらは、チータンタン無料券を手にしたからこそおいけんに出会うことができたのだから。
食べ終わったおさらに卵をわりかき混ぜる。店主に差し出すと、肉味噌、ネギを追加し茹で汁を入れてくれる。
締めの卵スープ。それがチータンタンなのである。
確かに、ぼくたちは料理を選択することはできなかった。食べたいものを食べる。当たり前過ぎて普段意識することすらできないその権利を奪われていた。しかし、不思議なことにぼくらの心に怒りは存在してなかった。静かに店を出て、二人の口から同じ言葉が発せられた。
「なんか、美味しかったね」
おいけんの公式ホームページ:http://jyajyaoiken.la.coocan.jp/